5cmほどの厚みがあるリストブックの最後には、“凶”のカテゴリがあった。 これまで見てきたプロフと比べて、台紙は汚れていなく白いままだ。 残り僅か数ページだが、それだけで事足りると言うことだろう。 曖昧な表現が多い中、断定的な略歴がついたプロフが目にとまった。

「人生において一度は大きな成功を収めることができます。しかし年
 を重ねるにつれて、思いもよらない失敗ばかりしてしまい、それに
 伴う不幸が次々と押し寄せて苦労します。また変わった一面があり、
 周囲からは理解されません。掴み所のない人だという印象を持たれ
 るため、変な誤解を受けないように注意する必要があります。」
Chapter80 [その名は“荒城裕葉”]

監督官の評定欄は何も記入されていないものの、すでに登録通知は受諾済みとある。 通知が受諾されてから10日以内にテストコンフィグを行う必要があるため、 すでに稼動中である可能性が高い。 でなければ、このリストから削除されるからだ。 監督官なしでテストを行う事ができるのだろうか?

氏名によるコールは中継点損失の恐れがあるため避けざるを得ない。 このため、会話記録へのアクセスを試みることにした。 このカテゴリではいくらかの制限があるという情報も入っているが、 まだ多方面からの確認は取れていない。 たとえそんな制限があるとしても、結局、アクセスが可能かどうかが重要なのだから、 記録されていることを期待しよう。

好きな言葉は「 I like your heart ! 」
それは心なのか心臓なのか分からないが、いずれにしても このカテゴリと略歴が示すプロフ通りであることは間違いないようだ。 そう考えるとむしろ両方に対する執着が見られる。 二兎を追うもの一兎も得ず、といったところか。 なんだかタネのないマジックを見せられたような気がした。


「試験前日に漫画を読んだり、ゲームがしたくなるのはなぜだかわかってる?」
「お酒をのんで、お菓子を食べて、タバコをすって、満足してる?」

…パラドクスってやつは、2番目に足を踏み入れた人が落ちる落とし穴なのだよ。 自分が望んだことをやって、後悔するかしないかは別問題。結局、何者も反作 用が働くようなマイナスの領域には入れないのだからね。絶対的な位置からしてみ れば、どんなにその大きさが微細なことであってもそこにあるのはプラスの世界の み。そうやって今まで生きてきたんだから。

訴え続けるようなその目は何を思う?他人に、むしろ自分の中に描いていた幻想に 頼らない本当の自分を探しているのか。それとも情熱におぼれていることがわかっ ていて、それを正当化したいがためにここに来たのか。

彼はすでに、目の前の出来事を過去の遺物として清算しようとしている。これが完 全なる決別だ。第三者になりきれていない傍観者にそう忠告した。
二階席から望む彼の言動は止まらない、核心もない。しかし鍔迫り合いのように互 いの意識が進化しようとしている。それが終焉に近いということは、誰の目にも明 らかだった。

Chapter79 [ ]

時間が来た。
おそらくこの続きはもうないだろう。双方ともそう確信した。
傍観者は、どちらにも勝つことはできないと、再び認識した。
自分にさえもやさしく微笑みかけてくる自分がいた。

見えない自分が欲しいのか。目先の欲望が好きなはずなのにそれを投げ捨て、 本当に見つかるかどうかわからない太古の未来人が残したような遺跡を探す人。 そこにあるのは死者のいない天国か、それとも欲望のない地獄か。 後悔しようなどとは考えていないのかもしれないが、果たしてそれが見つかった として何が得られるのか?そこには何もないのではないか?まさにパラドクス の落とし穴ではないか!

…と、すでにこの時点でお分かりのように、それを指摘された者のみが遺跡にた どり着いたのだよ。君は傍観者でありながら退場勧告を受けたわけだ。のみならず、 すでにダイダロスに飲み込まれてしまっていることに気づかないでいる。
教えてあげよう、それがパラドクスなのだと。ただし、遺跡に何があったのかは 教えることができない。私も見ていないからだ。君が言うように見たいとは思わない が、見たくないわけではない。それがこの遺跡に住む条件なのだ。だがしかしそ れもすぐだ、すぐにここから出て行かなければならない、それもまたここでの決ま りだからだ。当然帰ってきたら、僕の土産話を楽しみにしていることだろうと思うが、 それはできない。ここは一方通行なのだよ、パラドクスの先に、いやパラドクスには 後しかないのだが、君からして先ということにしておこう。先には遺跡を見た者が歩 く道と、見ていない者が歩く道と、もうひとつの道がある。見た者は遺跡に見とれてしま い、遺跡に入ろうとして脇道に入るが、遺跡の周りを囲むその道は、そのまま元の道に 通じていて結局帰ってきてしまう。見ていない者は空ばかりを見上げるので道に迷い、 来た道と知らずUターンしてくる。けれども僕は、遺跡の中に通ずる道をじいと足元 ばかりを見ながら歩いていくので、道に迷うこともなく遺跡を抜けることができる。 そうして得たつめ先ほどの大きさの小石と、服についたわずかばかりの砂埃がこの遺跡 の先に行くことができた証拠なのだと。君は言うのだろうな。


昨晩の雨からは想像もできないような青空が広がるじゃがいも農園には、 近くの街の人々が集まり収穫祭を行っている。 今日、じゃがいもの新種「JE1314β」(愛称「男爵」)を収穫するのだ。 街の人々は手に手に飲み物や食べ物を持って、他愛もないおしゃべりをしていた。

しばらくして、納屋から一人の女性が出てきた。 ドレッドの皮でできたエアマスクが、彼女の顔の下半分から腹部までを覆っている。 右手に、自分の身代わりともいえるようなじゃがいもを持ち、 彼女の代わりに街の人々と挨拶を交わしている。 彼女がこの農園の管理者であるフラムだ。 フラムは農園の一角に立ち止まり、新種の最後の仕上げとして青の結晶を地面に差し込んだ。 農園の管理者が実際に結晶を配置するところがめずらしいらしく、 人々はフラムの足元を見据えている。 わずか数分で地面が盛り上がり、1メートルほどの巨大なじゃがいもが 姿をあらわした。 これでこの街のじゃがいも不足が救われる。そんな歓声が沸き起こった。

Chapter78 [Administrator]

僕の隣にいるセムも、ほっとした顔つきでエビのムニエルをほおばる。 セムは流れ者らしく、傷だらけのその手にはギターを持っている。 先ほども、彼はみなの前に出て、何事か祝いの言葉を歌にし、聴衆から拍手を もらったと思うと、分かってないわね〜などといいながら引き返してきた。 セムが言う。「彼女がやろうとしていることは間違ってるわ。 これまでのは、ほんとはただ運がよかっただけなのかも知れないじゃない。 だからあたしがいるんだけども」 セムは農園への侵入者からフラムを護衛しているのではない。 その役目は護衛のためのじゃがいもがやっているという。 万一、そのじゃがいもたちの反乱にそなえ、セムがいる。 とは言っても、それはセムだけでどうにかなるものではないだろう。 どうしてこの農園に雇われたのか聞くと、「親の代から付き合いがあるのよ」 といったっきりだった。

フラムは、両親からこの農園を受け継いでまだ数年だという。 それでもその天才的な結晶の配置で、多くのじゃがいもを生産してきた。 今日の収穫祭の主役でもある「男爵」も、数分で成長するじゃがいもとして 完成させた(その量と容姿には若干の抵抗はあるものの)。 しかし、前日に、「男爵」を生み出すための結晶の配置を作り出すために、 フラムは「JD1283β」「JD1255α」という二つの品種を作成するための結晶の 配置を行った。これらの品種は、目的の品種を生み出す触媒のような 働きをさせるための品種で、その行く先は廃棄処分だそうだ。 特に「JD1255α」に関しては、その毒性のために、処分用のじゃがいも 「JP0832τ」を使用しなければならない。 じゃがいもの品種を決定すること、すなわち結晶の配置いかんで、 どのような品種のじゃがいもも生産することができるかと言えばそうでもない。 すでに配置されている結晶の作用のため、ただの一つの結晶を配置しようにも、 その全ての結晶の作用を考えなければならない。だから、一度に生産することが できるじゃがいもの量も限られてくる。「男爵」も、一度に収穫できるのは わずか数個であるため、その一個の量でもってこれを補っている。 しかし、結晶から消費されるエネルギー(フラムは大地のエネルギーのようなものと 言っているが、セムから言わせれば、これまで廃棄してきたじゃがいもの怨念だそうだ) の量はすさまじいらしく、それが回復するまでには数十日を要するというのだ。 無論、その間に、多くのダリット(過渡的な)じゃがいもが廃棄されている。 こうして、必要とされるじゃがいも一種を生産するために、多くのじゃがいもが 過程の中で生産されては廃棄されている。それは、空間的にも時間的にもピラミッドを 形成し、それを管理、統制しているのがフラムだ。

「彼女がまだ幼かったころ、肺をじゃがいもの花粉でやられてね、 あのマスクをつけなくちゃならなくなったのよ」とセムは言っていた。 おそらく彼は、フラムが何を考えているのか、これから何をしようとしているのか 想像がつくらしい。さすが流れ者は空気を読むのがうまい。 だからこそ昨日、3人で夕食を囲んだときも新種の収穫に反対していた。

フラムは未来が見えるのだそうだ。 といっても、結晶の配置によってどんなじゃがいもができるか見通すことができるというもので、 未来がすべて見えるわけではない。 彼女の両親もそんな能力があったとセムが言った。 両親は、ひとつの結晶配置を見通すことができるが、 彼女の場合、そんな両親の能力を受け継いだこともあり、 ふたつ先までの結晶配置が見えるのだそうだ。 これまではこの能力で、強い毒性を持ったり、強暴なじゃがいもが生産されてしまう 危険な配置を避け、目的の役目を果たすためのじゃがいもを生産してきた。

ところが今回の配置で、どうしても都合の悪い事態が避けられなくなったという。 すべての方法が最悪の結果を招く。これまでじゃがいもの恩恵を受けてきた街の人々 にも危険を及ぼすような。 だからセムは、これが最後の収穫にしてほしい、もう農園を広げるのはやめたほうが 彼女のためだと言っていた。 この農園を管理するのは容易なことじゃない。フラムとて、結晶の配置によってどんなじゃがいもが 生産されるか見通すことはできるが、結晶を取り除いた場合、どんな結果が出るかを見通すことはできない。 だから、管理者としてこの地を離れることは許されないのだ。 セムはそのことを考えているのだろう。


ぽーん

フロア中に「お知らせ」の効果音がなり渡るが、誰も気づいた風ではなかった。 まさに、後付けのない、わかりやすい反応だ。 じいさんはさっきからピアノをなでてるし、そのそばにいるパパはずっと外を見ている。 闇が流れてるだけなのに…

Chapter77 [クリムナル]

目の前に透明な箱が浮かんでくる。 上面には見たことがあるような色とフォルム。 ん?これは…
「ケータイじゃん!!」
まさに、さっきまで持ってたケータイがぺしゃんこにつぶれて、はりついている。 もう使えないことは一目瞭然だった。

“ここではもはやケータイはつかえまい。中継局なぞないのでな。  ついでにいうと無線機としての機能を持つものは制限を受けている。  その必要がないのでな。  監視は行われなかった。誰かがそう選択したのだろう。  そのキューブの一部がそのものかもしれんがな”

透明な箱は、必死になにかを映し出していた。 これは…、てっちゃん!
(おまえも大丈夫だったんか?)
スピーカーから声が聞こえてたり、画面に顔が映し出されたりしてるわけじゃない。 なのに、その箱からはてっちゃんの意思が伝わってきた。 てっちゃんのイメージが伝わってきた。
(おう、乗り遅れなかったみたいだな)
これは…、宗さん!
(おう、おれらは選ばれたんだな。  こりゃあたぶん、ノアの舟みたいなもんだろ)
…選ばれた?

“違うな。君らが選択しただけだ。  自己の最後を覚悟したもの、光がみえぬものは分解された。  そして、君らの礎になったのだよ。  君らはその存在をブラックホールと呼んでいただろう。  分解し、創造するという意味ではそれは間違いではなかった。  しかし、そこに君らの意思が入り込んだ。  それらは君らが望むままに形を変えた。  臨界領域での扱いには苦労させてもらったよ。  多少、不具合があるかもしれんが、最適化が目的ではないのでな”

部屋中に置かれていたピアノのほとんどは、消えてしまった。 いくつかのボタン式のピアノだけがそのままの形で残っている。 おそらくじいさんの思い出があるのだろう。 その中に、さっきまで弾いていたピアノもあった。 光か…
「隕石じゃなかったんだ…」

“いくら物質文明といえども、際限なきものではないのでな。  あれは一種の威圧だったのだよ。  宗君に言わせるならば、ノアの舟の定員と、その材料だ。  選択の時間を与えるために、地球とほぼ同じ軌道にした。  しかし、いささか材料が足りなかったようだ…”

また、てっちゃんの声が聞こえる。 (今、探してるんけど。広いからたぶん見つからん…)
「ここは…、たぶん操縦席みたいなところにいる…  なんだか、ものすごいスピードで飛んでるみたいだけど、  くらくてよく見えない…」
(よし、コックピットだな) 宗さんだ。コックピットって…
(目印なんかなにもないけど、広いところに出ればつながってるだろ)

箱は浮かんだままで、なにも反応しなくなった。 じいさんのピアノの演奏をBGMにして、フロアにアナウンスが入る。

<それではみなさま、快適な時間をお過ごしください>
ぽーん


   読書感想文
            神楽 義道
 この本に書かれていることは、すべて根拠
のある幻想であり、かつ、多くの哲学者が理
論的に踏破することもできる。しかし、それ
を行うことは動物に用の足し方を教えるほど
無意味で、闇雲に補足を植え付けるほど健全
とした社会に生きる読者は混乱を引き起こし、
発狂するだろう。そこに、著者の爽やかなや
さしさを感じ取れると共に、僅かな創造の源

の存在とその成長を確信することができる。
 たとえ、遥か昔、かつての隣人や設立者が
行ったように、受け継がれてきた記憶の一部
を切りとり、つなぎ目をごまかしながら並べ
たとしても、意識の流れが途絶えることが無
い以上、その時点でピエロの笑顔が消える。
 これまで、多くの政治家、支配者を支えて
きた者達は、理想とされる行動に近づこうと、
過去の歴史と人々の信仰を元に結論を導き出
してきた。彼らは、プレスされた塵紙のよう

「なあ、ヨシミチ…」
「なーにさ?」
「これ… おまえの字じゃないだろ?」
「せんせー、今日の体育サッカーしようよー」
「ああ… あ、いや。おまえの親父。バカだろ」
「せんせえーなんて言ったの? ボールが
 なくなっちゃう…」

Chapter76 [親父の読書感想文]

な歴史と、言い出しっぺさえ定かでない操ら
れた信仰に酔い、驚愕するべき判断をするこ
とで本来のレッテルを剥がされた。結論は出
ている、と多くの人類が気付いているにもか
かわらず、自己保身のための演説は淵を成し、
慣用の変化は促進される。まるでそこに全解
可能公式があるかのように振る舞うので、彼
らの人形の多くは、笑顔が凍りついている。
 一見、難解な言葉と、複雑な文章構造をし
てはいるが、読者は何ら悶絶することなく著

者の言葉とその真意を汲み取ることができる。
それだけ、この著者の本質的な部分が、未来
から流れて行くそれこそ神として祭られた存
在とは対を成すものに到達しているというこ
とを証明している。それゆえ、それらの防御
のための思想とは異なり、あらゆるものに挑
戦するかごときその姿勢は攻撃的でもある。
かといって、読者を罵倒するわけでもないた
め、読者は決してこの揺るがざる伝説に反駁
することなく、その大陸間のクレバスに滑落

「なあ、ヨシミチ…」
「なぁーに?」
「おまえ… 何読んだ?」
「せんせー、ぼく給食当番にいくよ?」
「ああ… あ、いや。給食当番は休職しろ。ここで
 国語の教科書でも読んで反省文を書いてろ」
「せんせえーなんて言ったぁ? からあげが
 なくなっちゃう…」

あ〜、はいはい、そう、ん?ミドリちゃん?…ちゃうちゃう。うん。うん。 や、そうじゃなくてぇ〜。…そう。…マサヨシにはちゃんとゆったでしょお〜…、うん、 まだパイカルは使うなって。ゆった?…なんか気づいてた?…なんも?…そのまんま持ってっただけ? え〜…、うん。いや、ちがうっちゅーに、センドウさんが昭道のレジでみたってときはまだ切ったまんまだったってぇ… 、そう。その仕返し。わかりやすいでしょお〜…そういうところがかわいいとかいったらまたどつかれるでしょ。 どつく?たまにはどついてみる?あははははははははは。は?あ、そう。 うん。レンジが叫んでん。助けて〜って。ん? ああ。そう、今から。いいじゃんどこで食おうが。あした?あしたはバイト。おお。 バスケ?おまえらだけでやってろや。…そんなんおれにはかんけーねーだろーがよお。 おめーらが勝手に持ってきたんじゃねーか、せっかくササギリさん楽しみにしてたのによお…。あーあ、 しーらね、おーお、がんばれよー。ん?…じゃハッキリいえよ?もうできませんって。 …おまえらにきまってんじゃん。は?…切るぞ?もっかいいえって。ハダノが? 誰から?…バイト?しっとーが。おう。…おう。なら、それ出しといて。だったら見に行く。 んん。それがいいだろ…、おう。だから知らないって、ほんとほんと、 うん。や、まさかさ〜、サッちゃんが持ってるなんてだれもわかるわけないじゃん。 えぇ〜、ほ、いや、うん。…じゃあさ、次はカズキでしょ?じゃなくて。ミノリは?そう。 ムリ?…だいじょうぶだって、あしたでしょお?あと何時間ある〜? やっぱムリ?はは、へ〜、3000で?今から?…うん。いい…とおもう。たぶん。 てか、もう出てんでしょ、聞こえるもん、音が。…間に合う? うん、…じゃ一応知らせとくから。うん、ハ〜イ、じゃ〜ね〜…

Chapter75 [ハイパボリック・スキャン]

笹桐はラジカセの停止ボタンをたたきつけた。 カセットテープの再生環境がなかったので、近くの大型電気店で一番安いやつを買ってきたのだ。 それでもなんだか損をしたような厭な気分になった。
他愛もない会話。聞くところによるとケータイでしゃべっているようだった。 テープの状態が悪いのか、ところどころにノイズがあって完全には聞き取れなかった。 それにしても。俺は何を聞かされたのだ?これは俺に何かやれということなのか。 どうでもいい疑問を、笹桐はすぐに忘れようとした。
「そんな目で僕を見ないでくれますか、まるでゴキブリになった気分だ」
ゴキブリを見てんだよといわんばかりに、眼力にさらに力をこめる。 「あなたのことなんじゃないですか?このテープの途中で男性が話しているのは」 そういってゴキブリは笹桐を指差した。
「だからなんだってんだよ、だいたいおまえはこのテープをどっから持ってきたんだよ、 なんだよ、俺をゆすってんの?あれ、そうなの?潰していい?おまえ」 世間知らずのぼっちゃんらしく、笹桐の威嚇は効き目がない。
「あなたの仕事は二つあります。ひとつはこのテープに出てきた人物を明日の午後9時までに、 登園の地下公園に集めてください。全員です。そしてもうひとつは…」 笹桐は上を向いて聞いていない振りをしていたが、男は内ポケットから黒い手帳を取り出してかまわず続ける。 「ここです、西三木駅のコインロッカーにバックと地図があるので、指定された場所にバックを持っていってください。 本当ならこれは別の人の仕事だったんですけれども…、まあ、そんなことはどうでもいいですね。いまさら」
それだけいうと、男はちょろちょろと帰っていった。

運良くケータイは生きていた。しかし、テープに出てきた人物でいま連絡が取れるのはミノリとカズキだけだった。 笹桐には時間が無かった。


ランカーの飛燕部に立ったその男は、もはやプレミアという言葉では言い表せない形容詞がつきそうなジーンズをはいていた。 ここは都市のインターフェイス、緑の無い荒野には都市と都市を結ぶ道が走っている。 その幅は飛行場の滑走路にも見えるほど異常に拡張してあり、数台の小型自動車が申し訳なさそうに走っている。
すでに、世界中の石油が枯渇してから数十年、ガソリンエンジンを積んだ自動車はほとんど見なくなり、 小型自動車の多くは水素による内炎機関に頼るようになった。 ただ、一部のガソリンエンジン愛好者の間には、石油の値段が彷彿する事を条件として僅かな量が流通していた。
走路をみると、山陰から巨大な姿が現れた。 頑硬な金属で建造された山のようなその姿は走路を完全に覆い、その巨体を突進させるべく移動し、 前を走る小型自動車にさえ覆い被さった。 初期の頃、ランカーは莫大な量の貨物を一度に運送することを主な目的として建造された。 それから僅か数十年で、最も効率化が要求されたムービング技術として確立し、 現在では年間積載量を競うランカーズポイントが設けられている。
その巨大な技術が、都市移動の重要な要として注目を集めている。

Chapter74 [再演たる路の都市]

ランカーのこの切っ先に立つことは容易ではない。 地上の倍以上も強い風が吹きすさび、ランカープレートは空気の形を激しくトレースする。 すでに慣れたような姿勢で、これまで走ってきた走路とは反対の方を見下ろした。 そこには小さなパブと、その横に何個かの自動車が置いてあった。 今にもランカーが踏み潰しそうなそのパブで、今回の入札が行われる。 男は指定された時間に遅刻すまいと、タラップを折り返しながら降りていった。 男のランカーは、極力ローテクで建造されているため、エレベータなどはない。 このぶんなら大丈夫だろうと、歩調を緩めた時、遠くから響く地響きのような震えがタラップに伝う。 どうやら、あのランカーも入札に加わるようだった。 しかし、エレベータが無い限り、あのランカーは遅刻するだろう。 すでに日は傾き、パブには明かりがともっていた。


 ラムハーサは海に沈む夕日を見据えていた。 水平線は明確に世界を二つに分けている、しかし実際は4分ほど未来が見えていると聞いた事がある。 そう考えると、魍魎とあまり変わらないのかもしれない。 目の前には僅かな未来、後ろには長い影。どちらも明るくて暗い、曖昧なものだ。

 海底に太陽は存在しない、その存在を証明するものは全て海に溶けてゆくからだ。

Chapter73 [ハオウがテイオウにあたえた罪]

 「おう、ラムハーサ、こいつだったらどうだろうか?」 シークエンサが誇らしげに捕まえてきた女の指を見せるが、ラムハーサはこちらを見ようとはしない。 後に控えていたトンクーハイが舌打ちして、今にも殴りかかりそうだったので、 タンバニーダが後ろから抱き付くと人形みたいに動かなくなってしまった。 女がこちらを見ているので、そのまま後ろに投げた。 受身を取れず下敷きになったトンクーハイは橋を壊さんばかりにばたばたと抵抗しだした。 「はなせえって!なんじゃあの体たらくは!そこいらの釣りしてるじじいとなんもかわんなあじゃ…あぐ…!」 できれば橋を壊したくはなかったのと、ノスタルキュウに聞こえたらまずいので、タンバニーダはそのまま絞めた。
 ラムハーサはずっと水面を眺めていた。 なにかそこから現れるのを何年もずっとまっているだけの漁師みたいな目で、 水中を横切る魚の群れを追っている。時折小さな波紋が広がる。 ノスタルキュウがたらしている釣り餌には目もくれず、魚達は先ほどと同じルートを通って橋の下に行ってしまった。 こうなったら仕方が無いとばかりに、トンクーハイ以外の全員が時が来るのを待った。

 だれも動かなくなってしばらくしたのち、女がラムハーサに近づいた。
「私に指輪を見せていただけませんか…?」 表情が変わったのはシークエンサだけだった、なぜ指輪のことを知っている…?そんな視線をノスタルキュウに送っている。 ラムハーサの頬には涙が流れていた。女だけがそれに気付いた。 「ありがとう…。名前だけ教えてくれないか」ラムハーサは動かない。 「深海の水…サララパス」そういって女は自分の手を水面にかざした。 流れ行く魚達を、夕日が映し出していた。

 トンクーハイが微妙な表情のまま本当に動かなくなったので、タンバニーダはノスタルキュウに助けを求めたが、 魚の餌にしようと言い出したところシークエンサがそれに同意した。 それはあまりにもかわいそう(同情以外の何物でもない)だというサララパスの意見もあって、 しばらくHP1ポイントという条件の下で、彼は生き返ることができた。

 魚を一匹も釣らないまま釣りをやめたノスタルキュウを見て、 彼は全てのシナリオを知っている、そうシークエンサは確信していた。


Chapter72 [モーションパーク]


Chapter71 [そして愛の人よ(Love Person 2)]


 届いたダンボール箱の中には、山盛りのオレンジが詰まっていた。 絵葉書には、山積みになっているオレンジを物色している女の後姿がプリントされている。 身にまとっているセイラは、オレンジの食べすぎなのか、マンゴーの色が染み込んだのか、オレンジ色に染まっていて、 女の影が、オレンジの球形に複雑なラインを映し出している。 日差しがオレンジをますますおいしそうに見せているが、そうでなくともオレンジを断っている身には嫌がらせとしか思えない。 絵葉書は、せっかくだから写真立てにでも入れておこうかとも思ったが、本棚の上が予想以上に散らかっていたのと、 そもそも写真立てなんてこの部屋には無いのを思い出したのであきらめた。

Chapter70 [アルミナ流沙]

「ハイ、仲野です。
 分かりやすく言うと、サンでの再会よりもリオでの出会いをよく表してるとおもう。
 空気とか、日ざしの違いはあるかもしれないけど、せっかくだからこの写真を選んだ。
 リオに行けばどこにでも売ってます。つまり、
 リオではどこにいても君といっしょさー!」

 ははあ。逃げたな。
確かにこの写真が一番わかりやすいとは思った。だからこそ発表しないで欲しかった。 きっと私が、大好きだったオレンジを急に断った事が彼に相当なプレッシャーをかけたのだろう。 その日の午後、彼は買い物に出かけ、さらし粉とエタノールを買って来た。 子供のような笑顔を見せながらそれらをなべに移し、魔法使いのバアさんのようになべを火にかけて、 中の白い液体をかき回していた。 私は食べもしないオレンジの皮をナイフで剥いていた。 そんなテクニックは嫌いだったが、地球と富士山のように表裏一体だということは彼も言っていたから、 それが一番わかりやすいと思った。


 声がきこえた。いつもはかすかに夏の夜空から投げかけられていた。 それが今ははっきりと聞こえる。 その声は間違いなく「やめろ」と叫んでいる。 まるで演技のような感じがした。

Chapter69 [ユメノオトシゴ]

 何をやめるんだ? 結果は全て見えてるじゃないか。 この手に掴んでいるものを頭より高く突き上げる。 解りやすく云うと光の剣だ。多少短いと感じるかもしれないが、気にすることは無い。 後はその光の剣を、大地に突き立てるのだ。それで全部だ。 もっとも、ここでいう大地とは、雑草は生えない、アリも住めない、のっぺらな金属だが。 結果は見えている。

 冗談としか思えないようなセンスで、中世の城に飾ってあるような剣の柄に飾り立てられたものは、プレートと、 何本ものファイバーでゆっくりと結合されようとしていた。 ファイバーは柄を持っている手さえも巻き込んで一つのものに固まろうとする。 その時、ガラスが割れるようなもろい金属音と、あの声がきこえた。 ファイバーは剣の柄ごと断ち切られた。柄の断面からガラスの粉がこぼれている。
「フェイクか、そうか」 声がする方を向くと男が落胆していた。
「ま、いいか、それよりも逃げないとな」
「…ここは?」
「見りゃわかんでしょーが。でっかい鉄の箱の中。あと、礼は外に出てからな」 遠くの通路を、作業員らしき人影があわただしく通り過ぎていく。 「おれはこっちのリフトを使うからな。おまえはホールに行くこった」
「ホールは…」 さっさとリフトは上がっていった、ホールって云ったってどう行けばいいのかわからない。
しかし記憶がおしえてくれた、過去の記憶を呼び起こしたわけではない。 作られる未来を予測している。確定することは全て流れてくる。 響いているのはいつも夜空から降ってくるあの声だ。 声にしたがって、いくつもの横道がある通路を進むと、映画館のような場所に出た。 前方に行くほど傾斜がついているが座席がなかった。 スクリーンに吸い込まれそうなそのホールの中央にさっきの男が立っていた。


 人の意見なんか関係ないとか、自分のやりたいようにやればいいとか、他人を気にするヤツは屑だとか。 そんなことを言うやつはごまんといるが、実際はやっぱそんな自分になりたい願望なだけなんで。 きっとテレビとかのクイズ番組が好きだったり、車とばしすぎて何度も事故りそうになってたり。 本当に好き勝手やってる人って少ないんだろうな、と。

 会社のロビーが見下ろせる場所から、そんなことを考えながら受付のカウンターに訪れる人を眺めていると、 ファッションなのか気付いていないだけなのか、みょーにつぶれた帽子をかぶってるのかただ頭に載せてるだけなのか。 木を隠すなら森じゃないが、もし彼の周りがみんな彼ならば断定することは難しいはず。 彼の周りには木が生えていない。だからこちらから呼びかけることも出来たのだが、 彼のためにも気付いていないふりをしている方がいいだろうな、などと考えていると予期せず受付嬢がこちらを指差している。

Chapter68 [うしろにずれたひと]

 「ん?出世したんじゃないだろ?」
どちらとも無くロビーと2階をつなぐ階段で落ち合った。なにもこんな階段の途中で会うことはなかった。
「カウンターの姉さん方が笑ってたぞ?飯でも誘ってふられたか」 いかにもなさそうなことを言う。さすが誇大妄想の激しい人だ。
「その程度で済むんだったら何度でもふられてやる」
「まさか結婚を迫って押し倒したんじゃあるまいな?」
いや、ただからかってるだけだろう。しかし、受付の彼女らが僕のことを知っていて、会社中の笑いのネタにしてるのは確かだ。 「とりあえず隣で飯だ。その帽子は君の空腹を表現してるんだろ?今日ぐらいはおごらせてもらう」
「おお、これは今日一番の感心だよ!今日は社長と呼ばせていただこう!」
愚痴を聞いてもらうんだから、これぐらいはどうって事は無い。

 ロビーを出入り口に向かって進むと、左の壁に大きな鏡が張り付いている。 受付の彼女達は、この鏡に向かって独り言をしゃべりくる頭のおかしな僕を目撃したのだ。 一週間もすると、誰も口をきかなくなった。それからしばらく自分の顔を見ていない。
「これは私の腹が空いてつぶれそうな胃を表現しているのだよ、解ってくれるのは社長だけだ」
斜め左前を歩く彼は視線を合わすことなくそんなことをつぶやいていた。


 普段の生活が容易に想像できるような、普通の家と家庭。その庭にはブルドッグが眠りに就こうとしていて、 家の中から聞こえる子供の泣き声が耳障りなのか、耳をしきりに動かしている。 ようやく泣き声がやむと、犬はこれでゆっくり眠れるといわんばかりに、目や鼻を自分の顔のしわにうずくもれさせた。 銃声が鳴ったとしても、そのしわから再び目や鼻が出て来るのは次の朝になってからだ。

Chapter67 [今日も今日とて愛しき人よ]

 静かになった部屋のふすまがゆっくりと開き、パジャマ姿の女が出てきた。 キッチンの明かりは二人を照らしている。基本的な核家族だ。
「カズのやろう、やっと寝やがったか」
男は立ち上がりながら、気分を紛らせるためだけに火をつけた長いままのタバコを、 コーヒーの空き缶に押し込んだ。 冷蔵庫を開け、まだぬるいままの缶ビールを取り出し、女に向かって飲む?というようなしぐさをしてみせた。
「四角に切らない方がいいのかしら…機嫌わるくなっちゃって。…まだ冷えてないでしょ?」 男はこれぐらいがいいんだよとつぶやきながら缶の蓋を開けようとするが、女の手がそれを制した。 手はビールよりも冷たかった。ずっと金属を握っていたような冷たさ。
「アルコールだめなんじゃないの?わたしがいただきます」
そういわれると男はビールを女に渡し、コーヒーの空き缶を捨てようとした。
そして僅かな風切り音のあとに銃声が鳴り響いた。 プルトップを開けようとしていた缶の横に二つの穴が開き、ビールが吹き出している。
「今日は酔わんと寝れん。おれが飲む」
女はビールをテーブルに置いた。
「…わたしはもう寝るから、ちゃんと床拭いてよ。 それから空き缶を灰皿代わりにしないで、分別しないと怒られるんだから」
それだけ言って部屋から出て行った。 後には、コーヒー缶の上の部分だけを持っている男が残された。 足元にはコーヒーの缶底と長いままのタバコが落ちていた。


 3本の柱を行き交う絶対服従的存在は、最初に完全に設定された明確な順序に従い続けている。 その存在は裏切られることも無く、設定が破られることもない。 しかしその最終的な目標が達成された時、柱が崩壊するにはもうひとつ条件が必要だった。

Chapter66 [そこに僕は立っているか]

 こないだの学会でなんてったっけか、名前は忘れたが、どこぞの学者さんが言ってたな… 「ハノイの塔はしょせん各個体の時間を規定しているに過ぎない。そこいらに転がっているプラモデルとなんら変わりない。  結果が見えている上、そこに答えは存在しない。  そんなものでこの世の最適解が求められるはずが無い」 宇宙が円運動に拘束されている以上、ビックバン以前の過去は存在する。しかしそんなことに興味は無い。 タイムマシンがあったって過去に行く必要は無い。

 ノックしたほうがよかったかな。 …けじゃれた小さな水槽のめだかを目で追いながら、彼は何かぶつくさとつぶやいていますね。 聞いて欲しいのか聞こえないふりをして欲しいのか、こんな時は無視するに限ります。 しかしそうはさせてくれないみたいで、いつのまにかこちらを向いて仁王立ちしてます。 私、なにか間違ってましたか? 時間球借りに来ただけなんですが。前回のことはもうわすれてるはずだから。 ああ、めだかの餌、わすれてたね。

「すでに最適解ははじき出されている!僕はそう信じたい。  もしそうでないのなら、塔の崩壊後、そこに僕は立っているか?」

 目の前に立っているじゃないですか。 過去に行く必要がないのなら、最適解を求める必要もないのでは? 確かに塔は崩壊しました。しかしそれ以前に最適解は求まっていたような気がします。


 てのひらの中の影をつかめなくてするりとながれ、全ての影を取り払われた垂直な四角い固まりに吸い込まれていく。 たとえ夜であったとしても、灰色の平面は周りの空間に浮かぶ闇を際限なく食い尽くす。 しかし、闇が尽きることはない。 夜が続く限りは。

Chapter65 [ミストグレイ]

「九日付けでこちらに配属になりました。二部の三島…純です」
人の名前を覚えることは得意じゃない。たとえそれが上司でも恋人でも嫌いなヤツでも自分の子供でもだ。 名前が分かんないから名前で人を呼ぶことは少ないし、あまり人を呼ぶことも無い。 ここへ来る前に精神なんとかっていう医者かどうかも分かんない医者に言われたが、 そういう、人を名前で呼べないヤツは、人のことはどうでもいいと考えている割には独占欲が強いらしい。 なるほどと思った。僕が殺したのは岡島直之だ。そして、三島純は僕の名前だ。前の名前は忘れた。

「北見祐二、識別番号244…8GY…1?」
さすがに緊張してきた。簡単な番号さえ口から出てくるのに手間取っている。 できれば、こんな経験は今回限りにしたい。むしろ幼稚園のお遊戯で事が片付くならそっちを選ぶかもしれない。 そんな多少投げやりな気持ちでも緊張すると腹が減る。腹が減ると気分も落ち込んでくる。 社会科見学だ、そう考えればいくらか気分は楽になる。 泊り込みでパン工場やどこぞの博物館を見学するようなもんじゃないか。そしてバスの中の隣の友人は早弁をしていた。 飯は朝食ったきりだったので胃の中にはもう何も入っていない。それはさっきのX線のチェックが証明してくれる。 十時半、昼飯時にはまだ少し早いが、ちょっと早めに食べたって親愛なる友人は許してくれる。 しかし、こちらが弁当を食ってる時に友人に吐かれた事を思い出したとたんにまた気分が悪くなってきた。


Chapter 64 [Day par day]
 彼女に、数年前死んだ彼から手紙が来た。そこには転生術の方法が書き残されていた。
その時、心臓移植を受けた男の元に一人の少年が近づいていた…

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